投稿者笹崎辰裕
皆様お久しぶりです。
最近多忙にかまけて更新が滞っている。今日もさっきまで図面を書いていた。
プランをエスキスしていたのだがどうも腑に落ちず、結果今まで書いていた内容の8割近くを描き直した。
最近久石譲氏のエッセイを読んでいるのだが、曲作成のスタイルが建築のそれにとてもよく似ていてびっくりした。それまでの音楽家のイメージというのはまさに芸術家の姿で、己の表現したいものが世間と合致すれば認められそうでなければ消えていくというものだったのだが違う。
氏の仕事は、良く知られているところでは宮崎駿監督の音楽担当だが、映像に音楽をつけるというものだ。クライアントのイメージがあり、それに合う物でなければならない。
いい曲であればなんでもいいというわけでは決してない。重要なのはクライアントの意図をどこまで深く汲み取れるかというところにある。ここが建築とよく似ている。
建築の場合も、同じ家族形態、同じような土地形状、同じような必要緒室であっても同じ建築物になることはまったくない。
私がお客様の希望を聞くときはメモにおっしゃられたことを逐一書いていくのだけど、その全てを内容として満たした図面であっても、それだけではお客様のイメージの全てを満たすことはできない。
図面を書くとき私はその諸室ごと、また全体を通しての場面を想像しながら書くのだが、それが私自身腑に落ちた形になっていない場合、たいていNGをもらう。何かが欠落しているのだ。
逆にお客様の希望全てが満たされていない場合でも、自分の中でその住まいに対して場面ごとのストーリーが納得いっている場合OK.をいただけることが多い。
私の図面の描き方として最初お客様の希望通りに全てを納めていく。それから形的に不要なものを削って可能な限り単純化させる。ちょうど彫刻に似ているかもしれない。
時間はかかるがそのほうが図面として美しく仕上がる。
氏はエッセイの中で言っている。
「良い曲は譜面も美しい」
その通りだと思う。
まず最初に見たときに美しいと感じられるようなプランでなければ受け入れてもらえるはずがないのだ。
何を作るにしても、何を求められているのか、何を表現したいのかをはっきりさせないと、結果受け取り側を混乱させるだけにしかならないだろう。
「今日」は6時に起きないとなので、寝よう。
目覚まし時計・・・・・・どこだ?