投稿者 笹崎辰裕
小さな女の子が言った。「どうして人間が商品なの?」
あさましい答えが浮かぶ。「買う人がいるから」
でもその女の子に言えることではない。質問に対する正しい意味も含まれていない。
きっと女の子は続けて聞くだろう。「何で買うの?」
さらに下卑た言葉が続く「欲しいから」
「欲しい?仲良くしてくれるお友達が?お家の仕事を手伝ってくれるお手伝いさんが?それとも・・・・」
女の子の口から自分を取り巻くありとあらゆる人間関係が出てくる。残念なことにそのどれにも当てはまらない。あるいは当てはまっている部分もあるかもしれない。でも、それはきっとヒトとしてではない。
別の意味で商品と言うのならまだいいかもしれない。個人の中の技術を買ってもらう。それはれっきとしたビジネスだから。
女の子が質問した理由は、ある場面を見たから。奴隷売買の。
そこでは何の希望も無くした人たちが、ヒトをヒトと見ない目をした人たちに群がられていた。
女の子の質問が「どうして人間が物なの?」だったとしたら、私はちゃんと答えられるだろうか?
現在奴隷制度も、身分制度も爪あとは残していてもほぼ過去のものとなっている。
他者に対してどう接して生きていくか。誰に対しても優しく思いやりをもってとはできないだろう。
私は聖人君子ではないから。自分がもし人を物としてみている瞬間があるとして、その時の私はどんな顔をしているのだろうか?
日中に行ったミーティングの中で会社体制の見直しを図ろうと意見を出した。
「本当に行うのですか?」
社員の一人が私に聞いた。
何をもっとも大切に置くかによってそれぞれ守らなければならないものがある。
そのための行動とはわかっていても辛い。
何もかも大切にできるほど自分が大きければいいのに。
20日近く前の少女の一言がこんな形で問いかけてくるとは、思いもしなかった。
グリフォン(仏 griffon, gryphon)、グリフィン(英 griffin, gryphin)、グライフ(独Greif)、グリプス(羅 gryps)は、鷲(あるいは鷹)の翼と上半身、ライオンの下半身をもつ伝 説上の生物。
実は「J9」という座席番号を見て思い出しただけ。