投稿者 笹崎辰裕
今回のタイトルを見てピーンと来て、なおかつその手の話が苦手な方はご遠慮下さい。
日本の昔話です(名前等はうろ覚えです)。
『あるところに仲のよい夫婦が住んでいた。夫の名は礼二、妻の名は節子といった。
節子は体が弱く子宝に恵まれなかった。それでもつつましく二人は毎日を過ごしていた。
だがやはり体の弱さがたたり、はやり病で妻は早くに亡くなってしまった。
男は悲しみにくれていたが、十数年後新しい妻を娶った。やがて二人には子供ができた。
子供はすくすくと育ちやがて成人した。
ある夜。礼二は夢を見た。
枕元に前の妻の節子が立っていた。
次の新月の日に迎えに来ると。
前の妻はそれだけ伝えると消えていった。
礼二は悩んだすえ、家族にその話をした。最初は何の冗談かと思った家族も新月が近づくにつれて、気が気ではなくなった。
家族は檀家の寺に相談した。
住職は新月の晩に礼二を本堂にかくまってくれる事を約束した。ただし守れるのは一人で、礼二はその晩は一人で本堂にいなければならない。
新月の晩。礼二は本堂に一人いた。本堂の戸という戸はすべて閉められ、その全てには魔よけの札が貼られた。
夜もふけた頃。戸をたたく音がする。
誰かと思い礼二は音のした戸の方へ行った。
誰か、と礼二は聞いた。
私です。
応えた声は節子のものだった。なぜ私を入れてくれないのかと、言葉は続いた。
礼二は何も応えなかった。いつしか外は強い雨風になり、戸をたたく音が前の妻のものなのか、雨の音なのかわからなくなった。
雨音に節子の切ない声が混じった。どうか入れてほしいと、一目だけでかまわないと。
礼二は耳をふさぎ本堂の真ん中でうずくまり、ただ時が過ぎるのを待った。
いく刻が過ぎたのだろう。気づけば嵐の音は止み替わりに鳥のさえずる声が聞こえてきた。
朝が来たのか。
そう思い礼二は本堂の戸を開けた。
雨風の中に、濡れた節子がそこに立っていた。
新月の翌朝。本堂に横たわっている礼二を家族が見つけた。
だがその顔は不思議と安らかに見えたという』
なぜ前妻は夫を連れて行こうと思ったのでしょう?うらみでしょうか?違う気がします。
なぜ礼二は朝が来たと思ったのでしょうか?嵐の音が止んで鳥のさえずりが聞こえたから?カミサマでもない者にそんなコトができるんでしょうか?ではなんで自分から戸を開けたのでしょう?
なんだかとても悲しい話なのですが、二人の間に言葉では伝えられない気持ちの繋がりみたいなものを感じて、とても切ない気持ちになります。
あなたはどう感じますか?