幸福論

投稿者 笹崎辰裕
昨日一昨日と私が参加しているFJC.Nの総会があった。
その日のために一生懸命準備してくれたスタッフの皆さん。本当にご苦労様でした。楽しかったですよ~
実は今日、私は風邪である。咳がこんこんでてくる。やだなあ。
その総会後の懇親会2次会。先輩の話。
「一番不幸なのは良かれと思って一生懸命やっていたことが不幸だったということ」
「?」
「例を挙げると(ブログで上げるにはちょっと支障があるので内容ちょっと変えています。意味的には多分同じ)・・・・
ある親子がいた。息子は体の弱い親の代わりに一生懸命働いていた。
ある年ひどい飢饉がその親子の土地を襲った。畑の実りは細く、若い息子はともかく体力の無い父親は日々がたつにつれてやせ衰えていった。
何とかしたい。そう思った息子は川に向かった。
もともと大きな支流であったその川は、畑に水を引くには細くなっていたが、それでも小さな魚くらいはまだいたのだ。
息子は獲った魚を全て父親に与えた。
だけどその年、父親は亡くなった。
体力が落ちていたと言うこともある。だが直接の原因はその川に流れ込んでいた工場排水に含まれていた有害物質だった」
知らずして父親に止めを刺した息子はおそらく悔恨の念にとらわれたに違いない。もし自分でもそうだろう。父親を少しでも元気にさせたいと言う気持ちが招いてしまった結果である。
ここまであからさまではなくても、これに近いことは確かに現実でも沢山ある。自分もよくやる。
確かにへこむ。
でも・・・・・父親は不幸だったのかなぁ。死そのものは悲しいことだけど、一生懸命息子が自分を元気にさせてやろうとしていたことは幸せに感じていたんじゃないのかなぁ。
先輩は言っていた。幸福になる一番の近道は、幸福を感じることができるセンスを磨くことだ。
こちらはちょっとわかる。・・・・・ような気がする。
ちょっと頭がぐ~るぐるしている。
なんだか、うまくいえないことばっかりだ。今日は。
でもきっと、今の自分は幸福に違いないと思う。

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