カミサンが入院したことにより家事をすることになった私。
でも料理は全くしていないので100%何もかも語れるわけではないのですが、思いつたことをつらつら書いてみようかなと思いました。
①一人暮らしをしていたからと言って、家事ができるとは限らない。
正直私も3年くらい一人暮らしをしていたので、家事なんざはっはは~んと思っていた部分はありました。全然違います。一番違う部分は自分以外の都合に合わせて作業を行わなければいけない事ですね。しかもこのたび合わせなければいけないのは、こちらの都合なんざどこ行く風のお子達です。
洗濯も食事もお風呂も掃除も、この時居るから居ないからを考えて行わなければなりません。飢えさせるわけにはいかない、疲れ果てる前に済ませてしまわなければいけない、しかもあっちはあっちでいついつまでにこれやっとかなければいけないなんてことがてんこ盛りときたもんだ。ちなみに本日長女は力尽きお風呂に入れられませんでしたし、その長女を残して風呂に入るのは一人さびしかろうと思い、寝かしつけてから長男をお風呂に入れようとしたらこっちが若干力尽きて、気がついたころには長男が力尽きてしまい、結果長男もお風呂に入れる事が出来なかったのです。駄目なパパを許してね。笹家にとって本日は全体的にお風呂に入れないでしょう(天気予報的にお読みください)でございました。私は入りましたが。しかも体操着もスモックも待ってはくれません。家事がいかにリアルタイムな物であるかを非常に痛感しております。そりゃあ動線が一ミリでも短くて済めば越したことはないと言うのも良くわかります。
②思った以上に見た目が大事。
洗濯なんて乾けばどこに干したっていい。ましてやとりあえず着る時にたんすに入っていればOK.でしょ。なんてのは一切通用しません。干した後に山になっている洗濯物はそのままお子達の士気を下げ、ひいてはあとかたずけを命じる言葉にも全く説得力がつきません(ガン○ムのギ○ンさんのように読んでみましょう)。不意を突くかの様に訪れる来客に大丈夫かよと不安をあおる事間違いなしだ。さらには油断の積み重ねが屋内のスラム化を招き、規則正しくあるべき生活も、高々洗濯の山によって簡単に崩れ去ってしまうのであると感じております。あるべきものがあるべきところにあるのは実に安心感につながる物ですね。洗う→干す→しまう→出す。点を中心に円を描き、線はそれに付属するものなりという武道にも通ずる一連の動作が家事には存在するような気がします。ちょっと自分でも何言ってんだかよくわからなくなってきました。
③めんどくさいが故に簡単である事にこしたことはない。
掃除も手入れもめんどくさいですね。特に掃除機であの隅届かない時のイライラ感やちょっと今日風呂掃除きちんとできないけど大丈夫か浴槽。なるほど設備メーカーがこぞってお手入れのしやすさを強調する気持ちもよくわかります。だっていつでも時間あるわけではありませんものね。キレイであるにこしたことはないですけど、それにはどうしても一定の時間が必要とされます。掃除ロボットってのもありますけど、流し台もお風呂も洗面台も洗ってはくれませんもん。でもアレ欲しいなあ。
なんだかんだいっても自分の時間って欲しいですよね。家事はちゃんとやれば確かに充実感はあるんですけど、でもそれだけで毎日を満足できるわけではありません。ど~しても必要である事ではありますが、時間と気持ちの戦いでもあるので、余裕を持ってできる範囲に収まるのが一番いいんだろうなあと思う次第でございました。
全国の主婦(主夫?)の皆さまにはほんと頭が下がります。
すばらしいですね~
なかなか出来る事じゃないですから、どうか奥様の労をねぎらってください。
と言いながら、自分に言い聞かせています(笑)
また寄らせてもらいます。