投稿者 笹崎辰裕
昨日一昨日と社員旅行に行って来た。行き先は東京。
初日は浅草演芸ホールにて寄席を見た。「話す」もしくは「見せる」ことに特化した芸を四時間堪能してきた。
正直に言おう。最初座ったとき、これから四時間座りっぱなしかと思うと気が遠くなった。席は狭く、ひじがとなりの人に触れる。前の席の間も狭く、気分はまさにエコノミー。タイタニックを見たときですらお尻が痛くなったのに果たして自分は耐えられるのか?否。ムリに違いない。と思っていた。
で、始まると・・・・・・おもしれ~。
色々構成も考えているのだろう。現代落語。古典。手品。軽業。話の流れもテンポのいい人、のったりの人。うまく組み合わされていて単調ではない。
あっという間の4時間だった。それにしても落語家は凄い。この前円楽師匠が引退を表明した。その理由が「かんでしまって話にならない」ということだった。面白ければそれぐらいいいんじゃない?と思ったが、実はそれがいかに重要なことかよく分かった。
小話の持ち時間が約15分。その間まったくかまない。よどみなく、一本調子でもなく、一人何役にもなり、状況説明もいれて、擬音ももちろん、扇子もふり、手ぬぐいを使い、んでもってかまない。
この前始工式があり、私はその際お客様に御挨拶を述べる機会をいただいたが、危うく舌から血が出そうな位にかみまくった。
「話す」ことでお金をもらうということはこういうことかと感心した。一芸を極める。その頂に感動した。
二日目。靖国神社にご参拝。それから同敷地内の遊就館に行った。
大戦での様々な兵器、兵装、記録があった。どれも生々しく、今の世には実用品としては決して必要ではないそれらが物言わず陳列されていた。
こう言うと誤解されそうでイヤなのだが、以前長岡市中央図書館の展示ホールにアウシュビッツ収容所の展示を見に行ったことがあるが、その時と似た表現しがたい苦い感情が沸いてきた。
最後の部屋に亡くなられた方々の顔写真と奥の机にノートが数冊置かれていた。ノートには悲しみと怒りが様々な字で綴られていた。
私が幼いころ母が、もし今戦争が始まったらお前をこの世から抹消する。死んだことにして兵隊にはさせないと言っていたのを思い出した。
戦争が個人として直結しているものは、死以外の何者でもないのだと思った。
その後昼食をとり、六本木ヒルズに行った。
まっすぐ展望台へ。たけ~。なんじゃこりゃたけ~。
ヒルズ以上終わり。
で、新潟への帰路。
予定よりやや遅れ気味だったので自宅にその旨をメールをする。
返信が着た。
「大丈夫。こっちはご飯食べ終わったから、心配しないで帰ってきてね♪」
・・・・・・・・・平和で良かった。