投稿者 笹崎辰裕
インターネットの普及、携帯電話の普及に伴い、全く顔を見たことのない相手でも簡単にコミュニケーションが取れるようになった。
私もチャットや掲示板なんかは好きな方なので好き勝手書き込んだりしている。
電話と違い、時間を同期しなくても参加でき確認が簡単に出来る利点から非常に普及したのではないかなと想像した。
ただし暗黙のマナー、もしくはルールを守らないとあっという間にひどいことになる。
なんせ顔が見えない。相手に自分を知られずにやり取りが出来るわけだから知られたくない部分は隠し放題。何の責任も負うリスクがない。そこはもう罵詈雑言に満ち溢れる世界だ。
基本。絵文字や何やらをいくら添付しても、文面上のみでは(相手とすでに現実であっていて、理解している場合を除く)気持ちのやり取りは出来ないだろうな、と言うのが私の持論だ。
だから、色んなコミュニティーに顔を出したとしてもそこで長続きする相手と言うのはほんとに少ない。
私の相手を判断する指針の一つとして、『言ったら直接相手に言い返すことができる』ことができる人。
これは現実でもそう。
ものすごく基本的なコミュニケーションだと思う。
直接でないとダメ。どこか目に付くところに遠巻きに自分のことを書いたものを貼られていても気分はどう?馬鹿にされたか、上っ面かとしか感じられないでしょう。
思えば今付き合いのある方々とは、大概一度はけんかをしたことがあるように思う。
それでも付き合いを続けてくれてるのだからありがたいことこの上ない。
それにしても出会い系の犯罪やたらと増えてるなぁ。不穏なことこの上ない。
一元的表現でのコミュニケーションの限界を象徴しているような気がする。
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望
投稿者 笹崎辰裕
『泣いてすごす一時間よりも笑ってすごす一時間の方がどんなに大切かを、あなたが教えてくれました』
今日のTV番組の最終節で流れた言葉。
若干6歳の女の子が難病の為になくなりました。
子供は身に宿った瞬間から奇跡なんだと、改めて思いました。
沢山書こうかと思いましたが・・・・・まだ無理でした。
深読み?
投稿者 笹崎辰裕
『深読みしすぎ』
先日知人に言われた言葉。思えばそんな風にいわれたのは初めてだ。
正直天然と受け止められることが多いので、ゆえに『考えすぎ』と言われることはあっても、そんな風に言われることはなかった。
策士ではないのだけどな。
いつかラヂオで聞いたこと。『自分がこうと思う自身の人物像と、他から見る人物像は違う』
なるほどなと思う。
かといって人の目ばかりを気にして嫌われないように生きていくと、そうと気づかれたときに逆に人からは嫌われてしまう。当然だけど。
最近の出来事で、聞いたはいいが何を答えたらよいのか分からないことがあった。
適切なアドバイスはもちろん、何一つ言葉が浮かばない。
何よりも辛いのは本人だから。答えが出ないのは分かっているが、何一つの言葉も出ないが、考えたい。
卒園式
投稿者 笹崎辰裕
今日は長男長女の卒園式でした。
うちの子はまだ年少組と未満児組なので卒園児ではありませんが、カミサンから話を聞いた様子では感動的な卒園式だったそうです。
一年間担当を担っていた先生方は思い出とともに感無量だったことでしょう。
こうやって一つ一つ小さな子供達が人生の区切りを経ていく姿は本当に喜ばしいことと感じます。
またそれとは逆に、昨今虐待をはじめ陰惨な事件が多く目に付きます。
ニュースを見たら7ヶ月の子供が浴槽に浮かんでなくなられていた事件が報道されていました。その数ヶ月前にもほんの百数十メートル離れていた場所で子供達を放置して暮らし、子供を餓死させた事件がありました。
なぜ愛せないのか。それが出来ないほどの追い詰められた状況は何なのか。
子供は当たり前のようにわがままを繰り返しますが、その時は腹が立ってもそれでも愛しさは消えませんよね。消せるわけがありません。
とても久しぶりにおかずなんぞを作りまして、それも子供達には不評でしたが、空になったご飯茶碗を自慢げに見せる子供が愛しくてしかたがない。
どうか、彼らが大きくなったときにはそんな事件が一つでも少なくなっていますように。
トラベル♪
投稿者 笹崎辰裕
昨日一昨日と弊社のスタッフと協力業者会で山形県まで旅行に行ってきた。
バスに乗り込み15分後
『カショ』
一本目の缶ビールが開く。
『カショカショカショ』
あちらこちらでビールが開かれる。なぜだろう。業者さんたちはなんであんなにお酒に強いんだろう?その疑問は今年も解けそうにない。いや、わからんでいいや。
私は以前の旅行のとき2本開けて、しかもただの350ミリ缶にもかかわらず、十二分に私をへこましてくれる結果が訪れたので一缶でやめる。
お昼にも飲む。部屋についても飲む。宴会でも飲む。
しかも宴会では今回弊社の役員は私一人と言うことで次々と酌を進められる。ありがたいけど、気分は結婚式の新郎状態だ。コップのお酒を捨てるためのバケツはどこ?
途中。若干マーライオンになりそうだったが、美味しい料理を血と肉と綺麗な思い出に変えたかったので我慢した。美味しかったなあ。
宴会も終わった後、風邪気味な私は先に眠らせていただいた。いつもよか3時間ほど早い就寝時間だった。
次の日も楽しく一日を過ごさせていただいた。
スッキリとココロの洗濯が出来たようだ。明日もがんばろう。
くらのかみ
投稿者 笹崎辰裕
ある雪山での話です。
四人の登山者が日帰り予定で山に向かいました。春が近いのでそれほどの装備も持たず、雪渓にだけ気をつければよい、気軽なはずの登山でした。
しかし予想を大きく外れ、雪山はその姿を変えていきました。
突然の吹雪に見舞われた4人は何とか避難できる場所を必死に探しました。
不意に現れた山小屋にどれほどの救いを覚えたことでしょう。
当初計画した時間を大きく越えて小屋の中は真っ暗でした。
明かりをつけるための装備もなく、暖を取るための備えもなく、4人はそれぞれの声を頼りにお互いの状況を確認しました。
小屋を震わす風の音はまだまだ吹雪がやまないことを感じさせ、さらに4人を不安にさせました。想像以上のアクシデントに4人の疲労も非常に大きく、下手をすればそのままその場に倒れこむのを必死でこらえるのが精一杯でした。
一人がある提案をしました。
このままでは4人とも眠りこけてしまい、間違いなく凍死してしまう。何とか眠らず朝を迎える手立てをしなければならない。そのために4人がそれぞれ小屋の隅に行き一人が反対側まで行き肩を叩く。叩かれた相手は次の隅まで行き肩を叩く。そうやって夜をすごそうと。
4人は疲労感にあふれていましたが、その提案に賛成しました。
提案をした者が最初に肩を叩きました。そして次の者がその次の者へ。
そうやってどれくらいの時が過ぎたのか。
風の音が止み小屋の窓に初めて光が差し込みました。
安堵感が4人を包み一瞬全ての疲れさえも忘れました。
そして無事4人は山を降りたのでした。
私達は目に見える者。目に見えない誰かにも助けられて生きているのでしょうね。
旧友
投稿者 笹崎辰裕
昨日友人から電話があった。
保育園からの付き合いで30年を超える付き合いだ。それがここのところ2年近くも会っていなく、どうしたのか心配をしていたが昨日久しぶりに声を聞いた。
何か色々あったらしく暗い沈んだ声だったが、私は久しぶりなのが嬉しくて始終笑って話してしまった。
近々会えないかという問いに今はまだ無理だとの返答が帰ってきた。寂しいけど仕方がない。
自分のルーツを知る人間というのは、その存在を知るだけでも自分に喜びを与えてくれる。
おそらくは、何一つ自分を飾らなくてよい相手だからだと思う。ある歌に、会うだけで学生時代に戻れると言うフレーズがあったが、私は彼に会う時どの時代に戻っているのだろう?
話が終わる頃には元気のない友人の声も少し元気になったように感じたのだが、そうあって欲しいという私の錯覚だろうか?
いつかまた。飲み交わし笑い会うことが出来る日が待ち遠しくてならない。
まちづくり事業
投稿者笹崎辰裕
4日夕方。町内の公園の中の公民館で道路整備についての説明会があり参加した。
ちょうど弊社もその道路に面しているので結構興味深々だった。
内容は『歩行弱者』も安心して住まわれるまちづくりを目指し、歩道を整備しようと言うものだ。
県内各所で行われているが市内としては大島地区が初めてらしい。長生橋から長岡信用金庫さんのある十字路までの両側の歩道。
段差をなくし、水はけをよくし、見た目も美しくするというのがおおむねの説明だった。
やはりその周囲の関係各人がおいでになっており多くの質問も上がった。
工事について。
工事後の影響について。
変化に対する安全性について。
上げればきりがない。
私も二点ほど質問をした。
告知時期と工事中の駐車場の確保について。
事務所は幸い乗り入れ口が二つあり、工事中に何か影響が出たとしても業務が滞る心配はない。不便はあるが。しかし周囲の方々はそうは行かない。結果駐車スペースを確保しなければならない。
その場合の駐車を依頼する場所は、まだ決まっていないそうだ。
近隣状況からうちに来る可能性もあるのではないかと思い聞いたのだが・・・・早く決めてもらいたいものだ。全然かまわないのだけど一応都合もあるのだから。
告知時期は一週間前と言っていたが・・・・・む~ん。進行具合を確認しつつ、ご近所の方と前もって話をしたほうがよさそうだ。
で、施工説明の書かれた地図を見た。
大きな十字路の角っこ。
ない。
三井工務店の文字が。
で、代わりにあるのが・・・・
『還元陶板浴 ひかり』
・・・て、おい。一年前の不安がまさに現実に。
会長ののっとり計画かと一瞬思った程だ。
どんな意味があるのかさっぱり分からない。
いいのか三井。
大丈夫か三井。
お前の事務所はどこにある?
『陶板浴 ひかりさんの隣で~す』
なんかすごくがっかり(T T)。いいけどもう。
芸達者
投稿者 笹崎辰裕
先週に引き続き車内ラヂオより。
土曜日の午後5時からFM新潟でアバンティーという番組をやっている。ウエィティングバーに訪れる、多種多様な業界のお客様の会話を聞くと言う形をとっていて、私はこれが大好きだ。営業時間中なので聞けたり聞けなかったり。ましてや丸ごと聞けることはほとんどないが。
今回は声優さんのお話だった。声優といえば先ず最初にアニメが浮かんでくるとは思うが、洋画を始めドキュメントのナレーションなど声を仕事にしている職業は意外と多い。ラヂオドラマもその一つだし。
いつか書いたことがあるけど声優さんになってみたいなという時期があった。自分の声に自惚れていたわけではなく、声を通して色んな役になることが出来るから。色んな役をやるということは色んな人生を疑似体験できるということと感じたからだ。俳優だと自分の姿見からは抜け出すことは出来ない。そうでない俳優さんもいることはいるけど、よほどの才能でなければ無理。
コメンテイターの一人が山寺宏一さんだった。
メロンパンナちゃんの旦那さんだ。決してアンパンマンではないので間違わないように。
有名どころではエディーマーフィーの吹き替え。アンパンマンではチーズ。最近パチンコなどで再熱しているエヴァンゲリオンで加持さん。ドナルドダック。
(PCからリンクしている方ならhttp://www.haikyo.or.jp/PROFILE/man/10285.htmlの中のVOICE SAMPLEから芸達者な音声を視聴できます)
会話の中で単純にいい声を出すのではなくて、役に対してどう特徴つけるのかがポイントと言われていた。一場面の中で6役を一気にやられたことがあるそうだが、それも体格もほとんど似たような役者がそろってしかも家族。本人も相当に混乱しつつもチェックして納得いくまでやったらしい。
私達が聞くのはほんの一瞬だけれども、その中にこめられたプロ意識に感動。
かくありたいと思った。
ちなみに私が声優になる瞬間がある。たまに子供に絵本を読み聞かせるとき。
ただ読むのはつまらないので、ヤンキーの桃太郎や壊れたはらっぺらしの青虫になったりしてみる。
け、ど。真剣に読んでいて寝てくれるのならともかく、完全にそっぽを向かれることもしばしばだ。
どうやら私には才能がないようだ。
一流
投稿者 笹崎辰裕
日曜日。移動中の車の中でNHKのTVの音声を聞いていた。
イチロー選手のインタビューを特集でやっていた。
その中で気に止まった言葉。
『自分流を貫きましたよね。でも自分勝手にやるということじゃなくてむしろ逆。自分の可能性を広げるためには自分に厳しくないといけないんですよ』
『枕にこだわりがあるんですよ。オーダーメードで作ってもらったものなんですが、これはもう僕にとってのアートなんです』
『このバットはミートの部分が通常のバットよりも小さいんです。岐阜のバット工場で持ったときに感動したんです。ああ、これだ。こいつとなら結婚してもいい位の。理屈じゃないんです。感覚でこれじゃないとだめ』
34歳。私よりも2歳年下。共感であったり、発見であったり。
勤務中であったから、じゃあ自分の業務に対してどうかとどうしても考えてしまう。すぐさま浮かんできた答えを却下したくてしょうがない。
『今までは自分との戦いでした。今回は人との戦いでした。ようやく人と戦えるとこまで来たと思えたんです』
己を到達すべきところまで作り上げた男の一言が、心に刺さる。