それぞれの夏

投稿者 笹崎辰裕
今日営業に行って道に迷った。
このこと自体は別段珍しいことではない。
私は営業は苦手である。なぜか?
お客様の家に着かないから。それだけ。
方向音痴の気持ちは、方向音痴にしかわからない。
たまにそのまま諸国を漫遊したくなる。そんな感じだ。
いつか母が言っていた「今、南ってどっち?」
全てはあなたのおかげですね。
その迷った先で山間に囲われた田園風景に会った。
今は遠い、生まれ故郷を思い出した。
私の家の前には塀が無かった。代わりに800メートルくらい先まで田んぼが広がっていた。
その中間くらいに「なかん土手」と呼んでた小道があり、そこを人が通っているのが小さく見えた。
田んぼの奥にはぽつぽつと家が建ち、緩やかに山の斜面へとつながっている。その山の中にも道があり、村落へと続いている。
これが、小さな庭と広縁とは言えない大きさの廊下を通して、居間にしていた和室から見える風景だ。
通風のために、窓につけている落とし板を全て取っている時に見える夏の風景だ。
今は別の住人がその風景の持ち主となっている。手ではぬぐいきれない記憶の中の、夏の一場面である。
家の中の思い出は、家の部屋それぞれの場面と、家から見えるそれぞれの場面、そしてそこにいる人たちで形作られる。
新築工事で、前にあった家を壊すときに思う。「この家が持つ思い出に見合うものを作れるだろうか」
着工のときに思う「これから作る家は思い出が宿るにふさわしいものになるのだろうか」
自信が無いわけではない。それでも必ず畏れに似た感情がわく。
「どうか・・・・」色々な言葉が心の中でその住まいに送られる。
三井工務店の陽気な社員達はどんな夏の風景を、これから創る住まいに込めていくのだろうか?
あ、名前に「夏」が入っている社員がいたなぁ。夏と言うより「サマー」の響きが良く似合う。そんなナイスガイだ。
ちなみに・・・・・・帰りはナビ使って帰った。

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